「失敗」や「怪我」は生きていくために必要な経験。自分の「情けなさ」を実感し、少しの「逞しさ」を身にまとう〝旅のすすめ〟【西岡正樹】
「南米パタゴニアへの旅」を回想して
ところが、パタゴニアの風は私の予想をはるかに越えるものでした。パタゴニアエリアに入るや、私は「止まない風もあるのだ」ということをこれでもかいう程、全身で感じることになったのです。パタゴニアの旅に出てから3週間と少し経過した1月13日の「パタゴニア旅日記」に、旅の1コマが次のように綴られていました。
パタゴニア日記 1月13日
「疲れがどっと押し寄せてきた」
そういう表現しかでてこない。今朝目覚めた時には、次の目的地「リオ・トリビオ」に向かう気持ちが全く湧いてこなかった。身体中が重く、動きが鈍い。ストレッチをやってみるが、どうも本当に疲れているのは身体よりも心の中にある「気持ち」という奴のようだ。やっても効果が出ない。今日もカラファテ(近くにぺリト・モレノ氷河がある)にいることにした。このホテルは空いている部屋がないので、早速ネットを使ってホテル探し。
カラファテの中心街から2㎞程離れている所に、今泊まっているホテルと同じぐらいの料金で泊まれるホテルを見つけた。すぐに予約し、行ってみるとネットのミスでダブルブッキングになっていた。
こういう時のホテル側の対応でこちら側の対応も変わるというものだが、この宿のオーナーは手際が良かった。なんと私がホテルに着いた時には同じ料金で泊まれるホテルを、すでにカラファテの中心街近くに確保していたのだ。ここまでされると、人の好い私は素直に受け入れるしかない。
さらにオーナーは車で先導してくれるというのだから、何も言うことはない。
よって今日は、昼前からホテルの部屋にいて、何もせずぼんやりしていた。すると、いつの間にか眠りに落ちていた。やはり、身体は嘘をつけないようだ。深い眠りから目覚めるとすでに夕方近くだった。何気なくテレビをつけるとプレミアリーグ(イングランドサッカー)の試合をやっていた。
「流石グラウディオラ、マンチェスターシティは良いサッカーするな」、私は日本にいるような錯覚に陥っていた。
そういえば昨日、次のようなことをメモしていた。
日本以外の多くの国では、買い物のレジなどで、後ろに長い行列ができていたとしても後ろの人たちのことを気にすることはないようだ。昨日もこんなことがあった。ガソリンスタンドには長い車の列。ようやく次は私の番になった。ところが私の前の男性がガソリンスタンドのスタッフと話をしているから、給油がとてもゆっくりだ。挙句の果てには、料金を払い終わってもさらに話は続いて、急ぐ様子など微塵も見せない。
不思議なことに、このような状況で「早くしろよ」なんて心の中で思っているのは、私だけのようだ。周りにいる人たちの様子はいたって平常、いらだつ様子を見せる人はだれもいない。そんなことに気が付いた。そうして、ある1つの発見に行きついた。「そうか、彼らは後ろで待つ人に対して気を遣わないが、気を遣わない分自分の前でマイペースにやっている人がいてもイラつかないのだ。逆に、気を遣う人は他者に気を遣うからその分、気を遣わないことにイラついてしまう。納得、納得。文化とはこういうものなのだ」
他の国を旅しているとぶつかる文化の壁。人は時に自分たちの文化を横に置き、その国の文化を受け入れて旅をした方がいい。日本では見ることのない、その現実から見えてくるものの中に、学ぶことは大いにある。 (日記終わり)
日本の「当たり前」は、文化の違う国や場所に行けば「当たり前」ではありません。私たちは日常の積み重ねで生きているのですから、自分が今まで積み重ねてきた日常とは異なる文化の中にいるだけで、心身ともに疲労します。それは自然環境でも同じようです。今まで味わったことのない「止まない風」の中を原付バイクで旅していると、心も体もクタクタになります。それは日本にいる時には決して味わうことのできない体験なのです。